日記の続報。

【6月24日 平山夢明の怪奇日誌 平山夢明 \580 】ということで、竹書房から文庫で刊行予定です。
詳しくはサイトのニュースにて。
沈鬱日記(仮)から『怪奇日記』に変更のようです。
(これも本決まりなのか分かりませんが・笑)

他社の日記を読むと言うのは面白いものですので、凄く楽しみ。
オマケにあの平山夢明氏の日記ですよ!面白い事この上ないでしょう。
元々ネットで公開されていたものですが、書籍になったらやはり味わいも変わりますし。
『闇の映画祭』前々夜祭の次の日、『闇の映画祭』の前日発売です!

例の某住宅雑誌のこと。

加藤一氏がリクルートの「住宅情報」の別冊扱いのもので、
「都心に住む。〜都心のマンション厳選情報」と言う雑誌のVol.25に記事を執筆!
発売時期は分かりませんので、下のリンクをこまめにチェック。
現在はVol.23なので、もう少し後になるはずです。


■住宅情報ナビ


加藤氏の怪談以外の文章を読めるチャンス(笑)でもあります。
あ、後『妄想ショッピング』もありますね!

書評と感想と紹介。

知人より、「キミのサイトは所謂<書評サイト>ではないのかね?」と言われた。
大概そう言うときは「ウチは所謂<紹介文サイト>だ」と答える事にしている。
だが、これが中々伝わり難い。その辺りの認識の違いで意思の疎通が出来ないのである。
書評=主に新刊の書物の内容を紹介・批評すること。また、その文章、なので実際は紹介
文も書評の一部なのかもしれない。けれど書評と言うのはおこがましい…と感じているの
からしょうがない。


だもんで、言い訳がましい裏話をここに公開。
脳の煮えた人間の戯言として読み流してくださいませませ。


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書評・感想文・紹介文の違いを個人的憶測で言わせていただくと、


『書評』=書籍の良し悪しや内容を客観的に評論すること。
『感想文』=書籍の良し悪しや内容を主観的に捉え、書かれた文章
『紹介文』=対象物を広く伝える為に書く文章。自分の価値観を押し付けるとも言える。


このように分類して考えているのだがいかがなものだろうか?
個人的な憶測なので、決して正しくはないだろう…が、こう思うのだから仕方がない。
我がサイトは『「超」怖い話、そして関係書籍等を色んな人に紹介していく』のが目的。
だから『紹介文』。もちろん、気になる部分や嫌いな部分に関しても書き残すが、それが
主観であって、客観ではないケースが多々あるので書評にはならない…と思うのである。
それと、サイトでは幾つか気をつけていることがあって、


・出切るだけ正確なデータを残す。
・他の書籍(「超」怖い話関係の著作内であっても)との比較論は出切るだけ避ける。
・決してネタバレなど、後から読む人の興味を殺ぐような事をしない。
・マイナス面もしっかりと判断する。
・主観で書いている分、自分の評価=万人の評価ではない事を意識しておく。
・主観で書いた事を『書評』と言わない。


ネタバレに関しては、やはり書籍の性格上絶対のものである。
自分がされたら厭だと思うし、そう言うことをしない事が大前提であろう。
本当なら『これが怖かった』などとタイトルを挙げるのも止めた方がいいのだが、それを
するとかなり抽象的なものになりそうなので、とりあえず採用している。
正確なデータを残す、というのは後々購入ガイド代わりになったりする事も考慮している
のである。ネットで検索すればすぐ分かるが、一つ一つ調べる手間を極力なくす為でもあ
るのだ。実際、管理人が調べ物をする時に重宝している←自画自賛


比較論とマイナス面に関してだが、これは絶対に譲れないファクターだろう。
その書籍にマイナス面がもしあるなら、きちんと書き残しておかないといけない(これは
書評も感想文も同じ)。それを無視して書くことは出来ないのだ。
しかし、マイナス面=嫌いなところを書く、というのは意外と簡単であると言われている。
ファンであるが故の『甘さ』のせいで、結構苦労している…かもしれない(笑)。
けれど、好きだからこその苦言を呈している場合もあるので、サイトの方をチェックして
いただきたい。でも、重箱の隅をつつくような事を書いているのは内緒。


問題は比較である。
他と比較する事は非常に楽な事なのだ。何故ならその行為は誰にでも出来る事なのだから。
『塩に比べて、砂糖は甘い。色は同じなのだが』という事と同じような事で非常に楽。
何故これがいけないことなのか?
第一に、比較対象のどちらかを貶めるような事を平気で書くことが出来る事。
『塩に比べて、砂糖は甘すぎるのである』と言うような書き方が容易な分、簡単に片方の
評価を下げる事が可能なのだ。書いた本人にそう言う意思がなくても、読んだ者はそう捉
えてしまう惧れがあるといえないだろうか?そして、そこに反発が生じて、新たな問題を
生み出す事にならないだろうか?恐ろしい事である。
そして、紹介文を書く上で『AよりBの方が凄い』という書き方をする事は、結局Aの評
価を下げる事になりかねない。だから、容易な比較論は使えないのである。
だが、容易な比較論を除外して書けば、その対象物の本質も見え易く・伝わり易くなるの
ではないだろうか?と思う。
正しい比較論を展開するのなら、何の問題もないのだが……。
(大体、その比較対象物を全員が知っている前提で書いてあるものも存在するが、それも
大きな勘違いの上に成り立っている事を言っておこう)


また『主観』というものがクセモノで、中々この匙加減が難しい。
書評を名乗っているサイト・Blogを読むと、殆どが自分の好み=主観で書いているケース
が多々ある。評論を書く場合に多少の主観が出るものだが、それを出しすぎると『感想文』
になってしまうものだ。特に、このような『怪談』という特殊なジャンルの書籍に付き物の
『恐怖』を論じる事に関しては多分に主観が混じる可能性が非常に高い。
Aの人間が『怖い』と感じたものが、Bにとって『怖い』とは決していえないものだろう
し、Cにとっては『嫌い』であるかもしれないのだから。
万人の価値観を統一した書評は難しいものだが、それが出来て初めて『書評』なのだと思
う。


正直、正しい事を伝える事ができる『評論家』『書評家』というのは凄いものだ、
と思ったりした(笑)。


と、まあそんな言いたい放題でありました。
管理人は頭がちょっと『のんびりさん』なので、
真面目な事を書くと死にそうになります
ツッコミなどありましたら宜しくお願い致します。
多分穴だらけの文章ですから(笑)。