旧跡がなくなる。

都指定の旧跡230件「9割が根拠乏しい」と総点検へ

 お岩さんの稲荷、将門の首塚――。東京都は「旧跡」に指定している歴史文化財約230件の約9割について、「史実の裏付けが乏しい」として、指定廃止を視野に総点検を進めている。

 考古学者らで作る検討委員会が「段階的に廃止すべきだ」と注文をつけたためだが、長年「東京名所」の一つに数えられてきた旧跡もあり、都は“再評価”に苦慮している。

 都が歴史文化財の保護を始めたのは、大正時代半ばの1918年。当時の東京府が「史的紀念物」として指定を始め、都は55年、これを引き継ぐため文化財保護条例を制定、「旧跡」に改めた。

 しかし55年当時は、文化財の内容まで検証されなかったため、都は条例制定50年を迎える今年を前に、考古学者や歴史学者で作る検討委員会に分析を依頼。その結果、約200件が「伝承や物語に過ぎない」「史実の根拠があいまい」などと判定された。

 見直し対象に挙げられたのは、「四谷怪談」のお岩さんが信仰した田宮稲荷神社跡(新宿区左門町)、反乱を起こし、京都でさらし首となった平安時代の武将、平将門の首が宙を飛んで落ちたと伝えられる将門塚(千代田区大手町)、「忠臣蔵」の赤穂浪士の一部が切腹した熊本藩江戸屋敷跡(港区高輪)――など。

 お岩さんは江戸時代初期に実在。御家人・田宮又左衛門の娘で、婿を取りながら奉公に出たり、倹約に励んだりして田宮家を立て直し、「貞女の鑑(かがみ)」とうたわれた。死後約200年後、歌舞伎作家の鶴屋南北が田宮家の人物をモデルに、史実とは異なる怪談を創作。今も11代にわたって続く田宮家に現存する神社は後に建て直されたものだが、この怪談で「お岩稲荷」として広く知られるようになっている。

 はとバスの人気企画「夏の怪談ツアー」では、将門の首塚とともに、欠かせない場所になっている。

 田宮家10代目の二女の夫で、田宮神社禰宜(ねぎ)の栗岩英雄さん(76)は、「架空の物語とはいえ、当時の社会背景や教訓を伝える歴史文化財として、指定を続けてもらってもいいのでは」と話す。

 一方、赤穂浪士関連の旧跡は都内10か所に及ぶ。18〜42年に指定されたが、治安維持法(25年)や国家総動員法(38年)の制定とも重なり、日本が大戦への道をたどる中、浪士の忠誠心を政治利用する思惑もあったと言われる。

 「切腹の地」熊本藩江戸屋敷跡は現在、都営住宅や学校、一般住宅が軒を並べる。一帯が大まかに指定されているため、検討委は「大ざっぱで指定の意味をなさない」と指摘。同様のケースでは、日露戦争で司令官だった陸軍の乃木希典大将の生誕地として今の六本木ヒルズ(港区)一帯が広く指定されており、これも見直し対象になっている。

 都教育庁では「検討委を尊重して検証を進めているが、半世紀以上も都がお墨付きを与えてきただけに、すぐに廃止という訳にはいかない。保存費を支出しているわけでもないので、今後、時間をかけ一つ一つを精査していく」としている。
(読売新聞) - 8月11日14時48分更新

きゅうせき【旧跡/旧▼蹟】


歴史上の事件や建築物などがあったあと。旧址(きゆうし)。
「名所―」



となっている。
歴史上の事件に関係ないから旧跡と指定を止めるというのが検討委員会の言い分だろう。
旧跡と認めない=取り壊し、といったことでもないだろうが……。
粋じゃないね、検討委員会。野暮ってもんだ。
「旧跡の成り立ちなどを調べて、正しい歴史を研究する」のはいいこと。
だけど、「廃止」をするのは間違いだろう。


歴史上正しくない、という捉え方がおかしいと思う。
正しい「日本史」ではなく、「伝承や物語に過ぎない」「史実の根拠があいまい」なのかもしれない。
けれど、その旧跡の成り立ちをみれば、そこに「住民達との歴史」は存在するわけで。
「当時の社会背景や教訓を伝える歴史文化財」という話には同意。
もしこれで本当に廃止になったら、全国で同じような事になるんじゃないのかね?


こういった動きが、世の中の潤いを奪っていくのだな。
馬鹿馬鹿しくて、呆れてしまう。
「当時の社会背景や教訓を伝える歴史文化財」「伝説」「言い伝え」は大事だと思うんだけど。
この時代は特に。


怪談界でも、チョイ前に似たことがあっ(以下略)。


そういえば、ここで例として挙げられた二つの旧跡。
どちらも「「超」怖い話」と深い関係があるんだよねぇ……。