『んな内輪だけしか判らん事を今更言われても!』と言う話。

改めて逸匠冥帝氏の『山口敏太郎氏と妖弄記の顛末』を読むと、タイトルどおりの感想しか浮かびませんでした(苦笑)。
未だに私はこの件に関して、「山口氏は言わなくていいことを言って、起こさなくてもいい問題を起こした」と思っています。
自分(もしくは周囲の賛同者)だけで話せばいい事を、鼻高々に語ったがゆえに引き起こされた「今の状況」は、やはり自業自得!?
今回は、その逸匠冥帝氏の「擁護論」に対する疑問を書いてみました。
やたら長くなって読みづらいかもしれません(笑)。
オマケに的外れな意見もあるかもしれないので、その際はお教え下さいませ。
で、これはあくまでも疑問であって、「だからどうこう」という話ではありません。念のため。



・ツリー削除

>あのスレッドさえあれば、こんな膨大な議論をせずに黒白付けられたのに

と言われますが、すぐに新規でスレッドを立てればよかったのでは?
すぐ消される等の恐れは、理由になりません。
何度も立てて、納得いくまで議論すべきだったのではないでしょうか。
しかし、何故か山口氏に意見をするメンバーや常連が誰も出てこなかったのかも謎。


・捏造発

>もし万一そのような発言があれば、私も敏感に反応していたはず。

では、こちらからもお聞きしたいのですが。
何故、私の書いた<捏造>と言う言葉に、その場で今回の様な反応をしなかったのでしょうか?
記憶も鮮明な時点で「捏造と言うのは事実に反している」という発言が行われるべきでしたよね?
(あるとすれば<ですから「妖弄記」の悪口とか、加藤さんをひきずり出したいという意味ではないですよ。>という発言くらい?)


・肯定していた?

>個人的にH氏とこの手の話を直接した人間なら知っていると思うが
>こういう妖怪や霊に関しての体験談に対して否定的な見解を聞いたことがない。

知りません。だって直に話した事ないですから。
何故、直に話さないと判らないような事を理由にするのでしょう?
行間を読め、ですか?
ネットだけで読んでいる人のことを考慮して発言すべきで、今こうやって補完せず、充分な説明をその時すべきだったのでは?
それに「山口氏が色々と批判めいたことを書いているのですが」と6月の時点で逸匠冥帝氏がコメントされていませんか?
これがどこを指しているか判りませんが、少なくとも『妖弄記』に対してですよね?
「このときはまだ誤解をしていた」のなら、何故誤解を早く解いて、山口氏を擁護しなかったのでしょう?


・両者の違いは?

>【妖怪畑の人間は、実体験談としての妖怪が書けないのか】

これもまた6月のコメントから。

>この妖怪実話談というジャンルを初めて世に問うたのが他ならぬ山口氏であり
>(『魔界〜接触編〜』2003年刊)、先駆者として強く思うところがあったのだと感じています
>(作成の苦労話も聞かされておりますし)。

少し矛盾してませんか?
妖怪実話談と実体験談の違いの説明が欲しいところです。
もしかしたら、
妖怪実話談=民俗学的フィールドワークで集めた生の話
実体験談=実話怪談のようなルポ読み物
という分類ですか?
「妖怪畑=研究者」であるなら、別に実話怪談を書く必要はないと思います。
山口氏のように「本当にあった!会社の怪談」みたいなものを書くのなら話は変わりますが。


・脳内映像とは

>結論から言えば<脳内映像>なる言葉の語感が悪い、(の)である。
>正直、当然の成り行きの誤解である(私も最初そう思ったぐらいだし)。

・当時、脳内映像と言う言葉を使う際に全く<実際に何らかのあやかしと遭遇した経験を元に構築されたもの>という内容を付記しなかったのは何故?
・当の山口氏は6月の批判意見の時に、そのような意見を持っていなかった可能性があるのでは?
 (逸匠冥帝氏の書き方だと「最初から<実際に何らかのあやかしと遭遇した経験を元に構築されたもの>という意見を持っていた」という事になるが……)
 ↓6月の山口氏のコメントより。

>脳内映像の妖怪を妖怪の定義に入れるか?脳内映像の妖怪の目撃談は実話怪談なのか、
>だとしたら妖怪の定義は何か?だとしたら実話怪談の定義とは何か。

妖怪の定義に入れるか?=脳内映像妖怪は妖怪現象には入れられない……とか?
これを踏まえると『妖怪現象認定』はされていなかった、と思われても仕方がないのではないでしょうか。
そして、このコメントの意味をそのままとれば

>“『妖弄記』的体験談肯定”

をしていなかったとしか思えませんよね?
大体、加藤氏の妖弄記には「一切妖怪の名前」は出ていないんですが。
単純に読み手の想像力に委ねて、一切の説明・命名は行われていないでしょ?
それを勝手にカテゴライズして文句つけただけ…という捉え方もできませんか?


・何故今頃『取ってつけたような』言い訳がましい事を公開するのか?

某巨大掲示板のスレでも言われていましたが、「後出しじゃんけん」にしか見えないですよね?
何故、騒ぎになったときにちゃんと言い訳をしなかったのでしょう。
「その時は考えがまとまっていなかったんだよ」っていう言い訳は禁止。
山口氏はちゃんと公の場で発言をすべきだった(当然、今も)と思います。



・手の内?

>私はここで「自分の手の内を見せて、どうするのよ」と苦言を呈したい。

というか、普通の実話怪談著者なら当たり前のことで、周知の事実でしょう。
『体験談を書くにあたっては、自分の怪談観に沿った話を集めたい。
他の人の書いた内容もありだが、自分なら別の話も採用するだろうなぁ』
位の事は、「普通の怪談著者なら」普通に考えているのでは?
こんなもの手の内でもなんでもなく、言い訳にしか聴こえないですよね?
もし、山口氏の妖怪論と併せて「手の内」とするのでも、話は変わらないと思いますが。



不言実行

>「自分は妖怪畑出身の作家である。
>だから妖怪体験談を書くにあたっては、自分の妖怪観に沿った話を集めたい。
>加藤氏の書いた内容は信じられるものだが、自分なら採用しない」
>多分、山口氏本人は批判したつもりもなく、
>自分ならこういう手法でいくということを高らかに宣言しただけだと察する。
>だが、誤解を招く内容もあって、結局は対立の抗争に巻き込まれることになった。

だったら自著で「自分なりの正解・選定した自分なりのスタイル」を見せれば済むだけでは?
わざわざ人の著作と自分の方法論を比較して、「これは自分なら採用しない」なんて高らかに宣言なんていうのは、少しアレなんじゃないでしょうか。


これは私の個人的な印象なんですが、
『最初は人の意見を肯定するように見せかけて、最終的には否定に持っていく』
という団塊の世代にありがちな論法に近いと思います。具体例だと
『まあまあ、君のいう事も正しいんだよ。うん。けどね、この件に関しては私のやり方に任せてくれたまえ』
とかいう(笑)、ま、ありがちな話なんですが。
自分のルールを論じるのであれば他者を巻き込まずに、ちゃんと<それはそれ、これはこれ>と分けて発言すべきでしょう。


・結論はそれ

>プロなのだから「著作」で応えていただければ、それでよい。

まさにその通り。
それは某巨大掲示板でも常々言われていたことです。
去年はこの騒ぎが起こってから大量の本を出されていますが……どうだったでしょうか?




個人的には
『何で今更こんな言い訳をしているのだろうか?』
という感が強いです。←今騒がれたから、わざわざコメントしてるんだ、というのは無しの方向で。
「自分の周囲の人だけが知っていればいい」とかそういう理由でいままで公開してなかったんでしょうか?
全部、後手後手に回ったのがいけなかったと言えなくもないですね。


逸匠冥帝氏をこんな「自分の意見の窓口代わり」にするくらいなら、ちゃんと本人がオープンな場所で語るべきではないかと。
もちろん「自分のサイトで発言」でもいいんですが、それだとま〜た削除されたら終わりなんで、それは止めていただきたいですねー。
えーっと、あと「山口氏の実話怪談論」に対する擁護待ちですね。
その実話怪談論に、AMAZONのレビューの内容が色々被っちゃった事に関しても言及していただきたいところです。
さてさて。


追記1:今のところ、メールもコメントもなし>山口氏・擁護のひとり氏、二人とも。
忙しいのでしょうかねぇ?



追記2:某巨大掲示板で「画像の無断使用の件」が。
今、さらっと読んだんですが。
転載された画像の裏も取れてしまったようです…って、マジですか!?
これは、どうするんでしょうか?
今のところコメントは無しですが……。
山口氏は、ソースの提示とコメントを急いだ方がいいのでは?