ホラーと実話。

『ホラーに恐怖を感じる、実話には恐怖を求めない』
実は実話怪談著者にとって、これほどショックな言葉はないだろう。
ホラーに比べて、実話怪談は『実話である』と言うハンデを貰っている。
この一言で、フィクションのホラー小説には出せない恐怖を生み出す事ができるからだ。
そういうハンデを貰っておきながら、
『ホラーの方が純粋に恐怖を売り物しているから怖い』
と言われれば、それは実話怪談著者としては負けだ。
しかし、実際は『創作ホラーと実話怪談の恐怖を同じに論ずる事』が間違いである。
両方根本が同じに見えて、実は違う。『恐怖の根本』が違うのだから。
創作ホラー側と実話怪談側の苦労の違いがそこにある。
そこが解らなければ、見えてこないものが絶対にあるだろう。


ということで、『怪談マニア』っぽい立場からの話である。
(あ、ちなみに管理人はマニアっぽいだけで、きちんとしたマニアの方の方が、
知識も深いと思います。間違った事言っても、怒らないでくださいね、ね?)


『実話怪談はリアリティの追求が本質である』という意見では、冥帝氏にとって実話怪談
とはなんなのか?と言う部分がイマイチ良く解らなかったりする。
『実話怪談の殆どはリアルではない』『リアリティを感じるのはほんの一部』、
でも『皆、あったること』だから恐怖を求めずあるがままを受け取りなさい
ということなのだろうか?
読解力がないと言われれば、ないのかもしれない。
けれど、この場合は単に『研究素材だから』とも取れるのが少し悲しい。
あの熱い書評はなんだったのだろう、と思わずにいられないのである。
『自分にとって、実話怪談とは何ですか?』という質問の答えは人の数だけあるだろう
から、BBSなりコメント欄なりで沢山の人に聞いてみたい。


実話怪談に書かれたものが、全て真実と言うほど初ではない。
実話怪談のアレンジ・構成についても、以前から「超」怖い話などで
『100パーセントのレアではない。しかし、100パーセントのフィクションもない』
といった話や「どの部分に手を入れているか」に関してはすでにハッキリしているわけ
で、それを承知で読んでいる読者も大勢いるのではないかな、と思う。
それを承知しながら読むからこそ、リアルを感じることもあるのだ。
書かれていない真実を、その裏側に感じる事・感じさせる事、
これが実話怪談の魔力ではないか?と思うのだが…。


追記:稲川氏と新耳袋の件を例えに出されているので、こちらもそれに準拠してちょいと。
この場合は出自がはっきりとしている(もし復刊されなくても絶対にこれはどこからか
言及されたと思う)のであり、新耳袋は「オリジナル」稲川氏は「アレンジ」であって、
これは実話怪談の伝播の好例とした方がしっくり来るような気がする。
「怪談は語り」でもあり、「そこから怪談は伝わっていく」事がここにはっきりと見て
取れるのが面白い部分であるのではないか?と。
どちらも実話怪談なのだ、という主張も納得ではあるけれど、もろ手を挙げて賛同は
出来ない。