創作ホラーと実話怪談。

実話怪談は創作ホラーからハンデを貰っているようなものだ、と書いた。
理由は『実話である』という言葉の存在である。実話であるという一言ははっきり言って
卑怯なほど効き目がある言葉だ。それだけで恐怖感や不可思議レベルが数段上がる。
例えば、『部屋の天井に眼が多数あって、こちらをじっと見ている』という話があるとし
よう。これが創作ホラーであったならどう感じるだろうか?または、これが実話怪談であ
るとしたら、どう感じるだろうか?当然、実話怪談であるほうが恐ろしいし、不思議だと
感じるだろう。創作ホラー作家からすれば「卑怯」だと感じるほどの威力だ。


普通に考えると、創作ホラーと実話怪談は出発点からして違う訳だから、一緒に論ずるの
は少し厳しい。多少の比較や検証したりすることはあっても…だ。
創作ホラーの恐怖や物語の面白さは『管理されたアミューズメントパーク』のようなもの
ではないだろうか?作りこまれた世界観や演出、過激な遊具、楽しい遊具がこれでもかと
詰め込まれている部分など、類似点は多い…と思う。
逆に実話怪談は『心霊スポットや廃墟、行ってはいけない所などの管理されていない所へ
侵入するような』雰囲気をかもし出している。まさに背徳行為とでもいうのだろうか?
これらは『リアルとフェイク』の違い、と考えるのが妥当だろう。
創作ホラーは『0』から作り上げていく物語であり、実話怪談は『記録』を残していくこ
と・伝える事が物語の肝になっているように思えるのだが、どうだろうか?


実話怪談の恐怖を感じるプロセスとして『想像』というものがある。
創作ホラー小説は様々な表現を積み重ねる事によって、読者の想像力を刺激せねばならな
い。何故ならば、読者の想像の範囲外の事を納得させる為にはそれなりの説得力ある表現
をせねばならないからだ。これはSF等にも言えることなのだが。
結局、創作ホラーは創作というハンデの中に存在しているのだ。だから、ホラー作家は苦
労をする。中にはメタフィクションの手法を取り入れて、実話怪談風のアプローチを取る
ことさえある*1のだから。


逆に実話怪談は要らない部分をカットしてあっても、充分に想像力を刺激される。
それは何故か?
それは実話怪談の出発点が、我々のこの世界、どこにでもある場所の話だからだ。
コンビニという一言から簡単に情景を想像できるし、部屋の隅と読めば、自分の部屋の隅
を思い起こす事だろう。
だからこそ実話怪談の舞台を我々は容易に想像できる。そして、想像しやすい場所で起こ
った「恐怖や不思議の出来事」は、読者にとって「対岸の火事」程度の近さまで接近する。
「もしかしたら、明日は我が身かもしれない」という想像さえさせるかもしれない。
だから、実話怪談は面白い。



大体、新耳袋「超」怖い話も『聞いた話を記録する』『聞いた話が面白かったから出し
てしまおう』という所からスタートしている。
そこから、如何にしてこの話の肝を伝えるか!?と送り手は様々な試行錯誤の末、それぞ
れの方法論を確立した。それは『語りの文章化』・『引き算の怪談』という方法論として
結実したともいえる。
確かにホラー小説から分派した方法論かもしれないが、すでに別種のものに進化したと私
自身は思う。だからこそ、ホラーと比べられても…と思うのだ。
逆に実話怪談からホラーへの先祖返りとも言うべきものや、全く違う方法論の実験怪談も
出てきている。すでに実話怪談はホラーの尻尾ではないのかもしれない。


と偉そうに書いておいてなんだが、あたしゃ『創作ホラー』も『実話怪談』も大好き。
両方『面白い』ですからねー。

*1:最近だったら、福沢徹三氏や三津田信三氏の著作だろうか?