始まらなかった君へ。

四十一之巻「目醒める師弟」にて、あきら(秋山奈々)が鬼を辞め、明日夢・キリヤがヒビキの弟子になった。
あきらが猛士まで辞めたのかどうかは判らない。が、一応予告部分で出ていたので、完全な降板ではないらしい。
しかしまぁ、サブタイトルの「目醒める師弟」というのがこの二つの事柄を指しているとしたら、とんでもないサブタイトルだ。
誰も目醒めていないよな…でぐんにゃりと腰砕け。
ヒビキもイブキも明日夢も全ての登場人物が「らしくない」状態での「弟子入り」&キリヤ贔屓脚本。
予告での「どちらかを選ぶ」というヒビキの発言には、怒りしか湧かなかった。
結局、これまでの物語は「なかったこと」になってしまうのだな。
こうなってしまうと、トドロキが死んだりザンキさんが狂ったりイブキさんが裏切ったりとか、何でもあるような気がしてきたぞ。
で、最後は「鬼対鬼」にして、ラスボスは「捨童子」かのう。げほごほ。
座長をはじめとする、出演者の皆さんが「頑張る」と言ってくれた言葉。
それを信じてこれまできたのに、いったいこれからどうなってしまうのだろう。



しかし、明らかな脚本家の失敗だな。あきらの鬼リタイアは。
あきらの役回りとして
・「猛士関係者の中、明日夢に近い視点」で語らせることが出来る。
明日夢もっちーと絡むことによって紡ぎ出される日常(鬼も人であることの明確化)。
・鬼と弟子の関係をリアルタイムで見せることが出来る。
明日夢の先輩・ライバル的に描く事も可能。
等メリットは色々あったはず。
が、ここ最近は単なる便利キャラに成り下がっているように思っていた。
要するに「テコ入れ脚本の為」にこれまで積み上げてきたものを捨てさせられて動かされる、そんな役回りだと。
当然これにはイブキさんにも当てはまる。
あの「人の見ていないところで泥に塗れていたイブキ」というキャラを蔑ろにされた時点でアウトだったわけだが(苦笑)。
と思っていたら、遂にあきらリタイア。これはいただけない。
今リタイアさせることは、響鬼の物語を薄くするだけでしかない…と思う。
確かにあきら役の秋山奈々は「長台詞を聞いているとひやひやする」「演義演技力もそんなになかった」が、話が進むうちに「あきらというキャラ」がちゃんと重なってきた。
次第にこなれてきて「あきら=秋山奈々」になった、ということだろう。そこに来てこの扱いである。
もしかしたら最初のプロットから「あきらはリタイアする」となっていたかもしれない。
が、その描き方が間違っていたと思うのだ。
大体「鬼になるのをリタイアした人を描きたかったら」、努というナイスキャラがいたじゃないか。(多分、脚本家は覚えていないか、知らないかのどちらかだろう)
「鬼になる・ならない」「明日夢の弟子問題」は、努とあきらを絡ませた方が実に自然に描けたのではないかな?


今回のリタイア劇は、明らかな「これからもこういう井上響鬼でいく」という意思表示に見えて仕方がない。
だから、あきらと努の役回りを「キリヤ」にすげ替えたんだろうな……。
「決め細やかなドラマ」から「ありがちな少年漫画」になっちまった響鬼
もし、あの前半のような素晴らしいドラマのまま大団円を迎えていれば、これから何年も語り継がれた事だろう。
親も子も安心して観る事が出来て、なおかつ感動できるドラマなんて中々なかったのに。
それを目先の利益に目がくらんだのか、「売れないおもちゃの宣伝番組」にしてしまった時点で大失敗になったことを気づかないのが敗因かと。
しかし…これは様々なところで、様々な人が意見を戦わせても、結局それは届かなかった……ということか。
白倉Pが言っていた事は嘘だったんだろうか?
というか、この人の■Blogを読めば判ること、か。
(しかしまぁ、書いた内容を削除したり転載禁止にしたりと、好き放題だなぁ。あはは。某王の人を思い出すよ)
折角の優れたコンテンツを無駄にしたなー、東映


まず、響鬼製作陣には「適材適所」と言う言葉を。
秋山奈々ちゃんには「これからも頑張れ!」とエールを。


あの、毎週ドキドキして観ていた響鬼は、すでに消えて久しい。
あの、30分間が短くて短くて仕方がなかった響鬼は、もう存在しない。
あるのは、響鬼の笑えないパロディ作品だ。
その劣化版響鬼にカタストロフがやって来るらしいが、このままだと、決してカタルシスはやって来ないだろう。
よかった探しも、もう飽きた。疲れた。
けれど、最後まで抵抗はするぞ……!