それぞれ。

さてさて。2006年の怪談大賞ですが。
「幽怪談文学賞」と「超-1」の二つが話題騒然……でしょうか?

私、個人的にこの二つは全くの別物だと思っています。
それぞれがそれぞれの「目的」で完全に分かれている、と。
誤解をして欲しくないのは、どちらが良いとか悪いとかと言う話ではない、ということ。
幽も超-1もベクトルが違うんだから、当たり前なんですが(笑)。

まずは「幽怪談文学賞」。
これはその名前の通り、雑誌のやる普通の文学賞なのでしょう。
「ホラー」「ミステリ」などのようなカテゴリの一つで「怪談」と銘打っている、と考えた方が無難ではないでしょうか?
一応は「短編は実話もあり」となっていますけど……ね。

で、この賞の場合どういった点が重要かといったら、やはり「文芸としての完成度」。
すなわち「ある程度完成された文芸作品」を送れ、ということ。
例え実話怪談でも、文章が「文芸」していなければ簡単に落とされるはずです。
(というと、私が実話怪談を文芸扱いしているようですが、違います。実話怪談は文芸ではないと思っています)
怪談之怪が「これは文芸だねぇ」と認めない限り、実話怪談が賞を取る事はないでしょう。
その辺りがまさに「文学賞」というところでしょうか。
そういえば、京極氏曰く「新耳は実話を元にした創作怪談」と言い放っている、と聞きました。いや、これは結構問題発言ではないかと思います(笑)。
「実話怪談」と主張する会員と「創作怪談」と主張する会員。
そんな怪談之怪が審査の時に、実話怪談をどう評価するか?
実話怪談ファンとしては、実話怪談が賞を取ってくれるのが面白いんですけどね。
いやはや楽しみな部分であります。
(誰か、長編部門に「全部実話怪談」を書いて送りつける猛者はいないものか!?)


次は「超-1」。
こちらの目的は単純明快で「「超」怖い話の著者選抜」が目的です。
実話怪談を沢山書いて送りなさい、というもの。
文章が完成されていなくても、それは関係ない。
必要なのは、実話怪談書きとしての「力」。
それは「目的と必然」をも内包しているテーマではないでしょうか?
単純明快であるからこそ、難しい。
考えれば考えるほど、書き手としてはドツボにはまるでしょう。
ああ、読み手でよかった(笑)。
読み手で思い出しましたが、超-1が「「超」怖い話の著者選抜」を目的をしている、というのなら、私、結構厳しく見ちゃうかもしれません。
確か、応募作は特設ページで公開でしたよね?Ηの開催告知にありましたけど。
てことは、ネットで読めるという事=未来の「超」怖い話著者を目指す人の作品が読めるという事。
じっくり、たっぷり読ませていただく所存也。


ということで、幽怪談文学賞参加者の皆様も、超-1参加者の皆様も、がっつり頑張ってください。