仮面ライダー響鬼、第三十話に関しての覚え書き。

日曜朝のお楽しみ、「仮面ライダー響鬼」第三十話・鍛える予感(三十之巻)でございますが……これが、これが「響鬼」と認めたくないものであります。
第一話の「石ノ森章太郎先生に捧ぐ」という言葉が空虚なものに感じられてしまうのは、私だけでしょうか?


兎に角、三十話の響鬼は酷かったのです。
これまで積み重ねてきた「響鬼」の大事な部分をたったの一話でぶち壊しているのですから。二十九話から出来るだけ違和感を与えないように脚本や演出をしているのは判ります。けれど、それは単なる上辺だけの誤魔化しに過ぎません。
台詞一つとっても、絶対にこれまでのキャラクターでは言わない事を言いますし、演技にしても絶対やらない事を平気でさせています。また、細かい部分の整合性など、かなり気を使っていた部分が全てなくなっています。
また、新キャラクターの登場は必要ありません。
明日夢君になんらかの刺激を与える役なのでしょうか、それをするのはヒビキさんの役です。単なる新キャラの投入は、駄目なテコ入れの象徴です。
平成ライダーと言われる「イケメン系ライダー」の悪い部分がここに集約されているとしか思えません。これは進化ではありません。退化です。


監督・脚本家などのスタッフが一部変更と聴いた瞬間、かなりヤバイ感じはしておりましたが、案の定と言うかなんというか。一部噂だと「玩具が売れないためのスポンサーからのテコ入れ」だそうです。テコ入れ、て。いい玩具を作らず、番組にテコ入れしてどうするのか!?とか流石バン○イ。サンライズ系でも似たことしてましたが、ここまでくると呆れるのみ。
「玩具が売れません。番組が悪いんです。だから番組にテコ入れします」
というのは愚の極みかと。
番組にテコ入れをして、逆に客を逃がしているのと変わらないからです。
考えても御覧なさい。子供だって馬鹿じゃない。悪い方に変わったら絶対におもちゃは欲しがらないでしょう。また、その玩具を買うのは親や大人です。その層から総スカンを食らえば、結果は火を見るより明らかです。
これを「目先の利益を見ているだけ」といわずしてなんといえばいいのでしょうか。


響鬼と言うのは単なる「特撮」「仮面ライダー」ではありません。
ここまで様々な人がハマる理由を見ていると判る筈です。
視聴者に何か『大事なもの』を毎週届けていた響鬼に戻って欲しい。
それが私の願いです。



願わくば、日本中の響鬼ファンの願いが届きますように……。



追記:各所で「そこまでない」「たった一話で二十九話全てを否定するのはおかしい」「新キャラは必要」とか言われておりますが、二十九話見続けた状態であの三十話はきついかと。だからこそ、あそこまで騒ぎになったわけですし。あれは改善ではなく、改悪でしかないと思うのですがねー。しっかし、あの脚本と新キャラはどうにかならんものか。一番いいのは三十一話で新キャラがぶっ○されて(もしくは転校して)、とっとと前のまったり加減(スタッフを戻して)に戻って欲しいかな、と。表面的な面白さより、良質なドラマとしての響鬼を取り戻して欲しいものと思います。こんなに良質なドラマは他にありませんから。