怪談の淵。

兎に角深い。深すぎる。
通常、読者はただ読むだけ(私もだ)であり、決して書き手の気持ちなんて判らない。判りえないのだ。が、加藤一氏がかなり突っ込んだと思われることを書かれている。

■原稿さくさくさくらさく

いくつか引用。
あ、引用部分が重要と言うわけではなく、今回は考えれば考えるほど深い内容っす。

つまり、怪談を怪談たらしめているのは、書いてる当人が恐いと思っているか否か。まずそこが全ての第一歩なのではないだろうか。

一方で、ツボが異なる不特定多数の読者に、一本の怪談で同時に怖がって頂くという方法もないではない。

それは、怪談を不親切に作ることである。

怪談の方法論が夥しく存在するように、「怪談を書く理由」「怪談でなければならない事情」というものもその作者によって異なる。その事情の数だけ、方法論も違って当然なのだ。

……うん、これは書き手にも読者にも大事な話なんじゃないか。
(ここ最近、加藤氏はこうして怪談についての話を書かれることが多い)

あと、これは!?

今書いている原稿というのは、例によってまだ子細は明かせないのだけれど、僕にとってなかなか興味深い仕事であったりする。